diario
満ち足りてしまったから、その時が来るまでは 6月17日
先日のこと、あまりに出不精になって
リハビリが必要なレベルかも・・・と
友人と話したことがありました。
本当にもう、我ながら社会性がどんどん失われるんじゃないかと
(もともと希薄なのに!)思っています。
その良し悪しを考え始めると止まらない。
どうもこの傾向は2020年、コロナ禍以降顕著になったようです。
きっと世の中全体が引き籠りせざるを得なくなって、
でもその時期も終わって、皆さん否応なく元の生活に戻られたことでしょう。
そしてわたしですが、作業部屋が自宅の一角にあること
元から出不精だったこともあって、
コロナ禍が終わってもそのままの生活を引きずっています。
あの友人、かの人はどうしているかなと思って連絡はするけれど
出向いて会うまでに至らないことが増えた。
「あの展覧会、見たいな、会期はあと1週間しかないな」と思っても
出かけて行くことが減った。出かけたいと思わなくなった・・・。
どうしてこうも出不精に拍車がかかったのかな、
以前のようにもっと友人と会ったり美術展や
遠くの大きな本屋さんに出かけたりしなくなったのかな・・・と考えたのですが
つまり、小箱制作が楽しすぎて充実しすぎて
それで満足しているからなのです。
2020年春から本格的に作り出した小箱が
図らずもわたしの人生に対する姿勢まで変えてしまったのでした。
楽しくて仕方がない小箱制作と額縁制作を
ひとりで引き籠れる部屋で毎日好きなように続けることが出来て、
それらを喜んでくださる方々が居て、満ち足りている。
それなら別に、人付き合いが悪くても(もともと良くも無い)
最新の美術界情報に疎くても
今のところはまぁ、良いんじゃないの・・・という結論に至りました。
こんな風に認めるには時間がずいぶんと必要でしたが
それも併せて良いと、自分に言い聞かせています。
きっとわたしも、否応なくこの生活を変える時が来るでしょう。
その時まではこのままで。
ひとりでニヤニヤと制作を続けられる幸せを噛みしめています。
ありがとうございます。