diario
ありがとうはどこからでも 3月04日
フィレンツェ滞在から帰国いたしました。
1か月弱の期間、とてもとても充実した盛沢山の時間を過ごしました。
出発前のブログ(1月22日)で、わたしの額縁師匠マッシモが
昨年12月に亡くなったとお話しました。
今回の滞在でマッシモの墓前にご挨拶することを
大きな目標にしていたのでしたが、
結局叶えることは出来ませんでした。
マッシモの妻でわたしのもう一人の師匠である
パオラは現在体調を崩していて、
週に1~2度ほんの少し体調の良い午前中だけ動ける様子です。
すでに工房はほとんど使われておらず
見本として壁に掛けていた沢山の額縁も
「もう作れないから必要ない」とどんどん販売している状態。
そんなパオラに「マッシモのお墓に連れて行ってほしい」とは言えず
墓地の場所もフィレンツェ郊外でバスで行けるものの
「ものすごく広い墓地だから、あなた一人で行っても
お墓の場所が分からないでしょ・・・」と諭されてしまったのでした。
つまり「そんなに必死になって行く必要はないでしょ、
もう亡くなってしまったのだから」と言うことなのかな、と思いました。
日本のお墓参りの感覚とイタリアのそれと
大きな違いはないように感じます。そして
「お墓に大切な人の存在を感じるか感じないか」が
人それぞれなのも同じ。
最近のイタリアでは火葬が多く、
散骨(散灰)も増えているのだとか。
フィレンツェには驚くほど沢山の教会があって
そのどれもに、大切になさっている方々の存在を感じます。
お花、蝋燭の灯、清められた床などなど・・・。
マッシモに「ありがとう」も「さようなら」も言えなかったけれど
手入れの行き届いた教会に立ち寄るたびに
なんとなくマッシモを思っていたので、
きっと伝わっていたであろう
伝わっていてほしいと思っています。