diario
Firenze 2023ーサン・ロレンツォ教会地下潜入 5月11日
すこし間が空いてしまった2月のフィレンツェ滞在記
つづきです。(そして長いです。)
彫刻師匠グスターヴォと一緒に
サン・ロレンツォ教会へ納品に行きます。
教会の保存修復部門入口は一般見学の入口の
右奥の鉄扉の先にあります。
インターフォンを押して重々しく扉が開き
中に入ってみると
バラ咲く中庭があって
振り向いて見上げれば、そこにはサン・ロレンツォ教会の
メディチ家礼拝堂クーポラがそびえています。
近すぎてよく見えないくらい。
小さな扉から「やぁ、どうもどうも」
グスターヴォはIKEAのバッグに額縁をいれて持ってきました。
工房から歩いて10分ですからね。
東京だったら考えられない近さと手軽さです。
さて。この教会の保存・修復部門の担当者の
ご許可をいただいて写真を撮りましたのでご紹介します。
▲中央の楕円額縁が今回グスターヴォが彫刻を修復した額縁
テニスコートくらい?の広さ、低い天井
そして雑多に置かれた教会の宝物!
ものすごく散らかって(失礼!)ホコリだらけ
とても面白くワクワクします。
▲ゴシック風の祭壇、そんなに古くはなさそうですが
素敵なデザインです。
▲「あらよっと! 早く直してよ~」
▲これはいったい・・・?
▲これはアレです、たぶん。
十字架から降ろされたイエス様や聖人の亡骸風彫刻が
横たえられているケース・・・じゃないでしょうか・・・
▲なんだか見慣れたものも。赤ボーロやファーゼ社の塗料。
そしてホコリ・・・
グスターヴォと担当の方が次の修復の打ち合わせをしています。
聖人像の冠が無くなっちゃったから、新たに作るのだとか。
置かれてある道具や材料も、修復を待っている宝物も
この蛍光灯の照明やらニオイやら埃っぽさや何もかもが
留学していたパラッツォ・スピネッリ木工修復コースの教室
パオラの工房、グスターヴォの工房、そして
2020年にローマで訪ねた額縁修復工房を思い出させるものでした。
繋がっている。
わたしがあまりに興味津々で右往左往しているものですから
じゃあちょっと案内してあげましょう!と
修復室の外も見せて頂けることに!
入口と反対にある奥の扉を出ると、教会の地下通路でした。
きゃーこわい♪ ドキワク
冬なので空気は冷たい。そして湿度もあります。
ミケランジェロは一時期このサン・ロレンツォ教会の
地下に身を隠していたことがあるとか。
その部屋には窓があったようですが
「雰囲気は近いのかも・・・」と想像が膨らみます。
▲教会の中庭が高く見える。
外の明るさ、オレンジの生る木の暖かさと
この地下道の暗さと湿度のコントラストが強い。
サン・ロレンツォ教会は紀元4世紀まで
さかのぼる歴史があるそうですが
1421年にメディチ家の出資により拡張工事がされたとか。
この地下迷宮はその頃に作られたのかもしれない、と
想像しています。(確認はしていません。)
だとしたら600年。
この踏み固められた通路は600年間
いったい何人が歩いたことか。
この小窓から、いったい何人が「ああ、外は明るく美しい」
と思っただろう?
道端には燭台が山のようにありました。
誰も管理していないし、修復も未定。
もはや教会のどの場所に置かれていたかも
資料がなくて不明だとか。
泥に汚れたものがあり「これは1966年11月の
洪水の時に被害を受けたものだね」とのこと。
それはつまり、57年ずっと放置されているの??
グスターヴォが「ちょっと直して売っちゃえば?」
なんて言いましたら、担当の方曰く
「そうなんだよね~(そうなんかい!)
でも全部に管理番号が付いているから
ちょっと難しそうなんだよね~」ですって。トホホ。
予算はない。どうにもできないし、どうする予定もない。
そんな宝物が修復室にも沢山ありました。
なんだか残念なような、でも仕方がないような。
そんな燭台をボケッと見ていたら、二人はどんどん先に。
ぎゃー!待って!
置いていかれたら道に迷って二度と出られず
死んでも発見は57年後・・・そんな気がしました。
教会って聖なる場所で、この教会などいわゆる
「パワースポット」かもしれませんけれど
どうしてこうも怖いのでしょう。
日本のお寺も神社も、やはり時々
ドキッとするときもあります
(わたしはスピリチュアル系にはうといのですけれど)。
人間の「気」や「思い」が降り積もっているからですかね。
以上、サン・ロレンツォ教会地下潜入報告でした。