diario
秋だから、ではないけれど 2 11月04日
コロナ禍がはじまって
自宅にいる時間が増えたのだから
読書量が増えたかと言いますと
わたしの場合は逆なのでした。
理由は移動時が読書タイムだったから。
電車の中や隙間時間のドトールなど
知らない人に囲まれてざわめきがある
ような場面が一番読み進められる、
と言うのは分かっていたのですけれど。
自室や作業部屋では、どうも気が散って
読書に落ち着かないのです。
そんな訳で、本棚の片隅には
順番待ちの本やら
途中まで読んでそのままの本やら
好きだからもう一度読みたいけれど
それっきり・・・の本が行列をなして
「さぁさぁ、どうするの?!」と
無言の圧力をかけてきています。
聞いたところによりますと、
読もうと思ってそのまま放置した本は
結局読まずに終わることが多いとか。
なぜなら「既にタイミングを失ったから」。
その時に読みたいと興味を持った内容も
タイミングを失えばもはや必要ないから?
うう~む、一理あるかもしれません。
だけど、情報を得るための読書なら
その通りだけれど、楽しみとして、また
変わらぬ興味の対象を綴った内容の読書なら
いつでも、十分「役割を果たす」のでは
ないかなぁ、と思っています。
「役割を果たす読書」という表現も
我ながら違和感があります。
読書に役割とか義務とか、
考える必要もありませんかね。
何を言いたいのかと申しますと
「本棚の行列は少しずつ解消する所存です!」
と言う宣言なのでございました。
移動中読書も徐々に再開です。