diario
どこでだれに習おうと 3月20日
昨年暮にAtelier LAPIS にご入会くださった
Aさんとはじめてお目にかかったときのこと。
古典技法の本場である欧州ご出身のAさんが
日本で日本人から古典技法額縁制作を教わる・・・
Aさんがご見学に来て下さったとき、わたしは
「日本で日本人から古典技法額縁制作を習うのは
嫌じゃありませんか」と聞いたのです。
そのことについてAさんは
「日本人だからって日本の文化すべてを
知っている訳でもないでしょう?
欧州人皆が古典技法額縁に詳しいわけでも
興味を持っているわけでもないのと同じ。
興味を持って勉強した人が教えているなら
わたしはそこに行って学ぶ。
学ぶのに場所と人種は関係ない。」
と話して下さいました。
そうですか。
そうですよね。
「日本人なのにイタリア古典技法
なんてわざわざ言って、おこがましい」
「せっかく文化豊かな日本に生まれ育ったのに
なぜわざわざイタリア古典技法なんだ」とわたしは
どこかうしろめたさを持っていたと気づきました。
だから欧州ご出身のAさんがいらしたとき
「わたしなんかで良いのでしょうか」
などと思ったのでした。
そもそもお時間を作って見学に来てくださった方に
「嫌じゃないか」もなにもありませんよね。
嫌じゃないから来てくださっているのに。
ばかばかしい考えだと、
振り返って考えてみればすぐに分かることです。
なぜうしろめたさを持ち続けていたのか
もはや自分でも分からないのですけれど、
生まれてこの方、一事が万事この調子なのです。
これはもうわたし生来のいじけた性格ですね。
イジイジジットリとしていると
できあがる額縁もいじけてしまう。
LAPIS に来て下さる生徒さん
額縁をご注文くださる方々にも失礼です。
明るく堂々とした額縁をつくるために
いい加減もうすこし明るく生きようと思います。
などと、思い至った春です。
いったい何年生きてきたんだ、ですって?
ハハハ・・・いやはや。
なんともかんともお恥ずかしい限り。
一緒にお笑いください。