diario
運慶展 胡粉の下、そしてむき出しのわたし 10月30日
とうとう運慶展へ行ってまいりました。
雨の週末の夕方、待ち時間は無いもののかなりの混雑。
事前にテレビや雑誌ですこし見聞きしていましたが
やはり実物の迫力はすさまじいものがありました。
800年前につくられた当時と経年変化していても
極彩色が失われた分、運慶の作りだした形がより見えている。
肉厚な背中、血管のはしる手、正に今振り上げられた腕
あるいはふわりと結ばれた仏様の印、遠いまなざし、
力強い腰、そして玉眼、どれもこれも緊張感が漂います。
ほとんどの像に「目が合う点」があって、それを探って
目を合わせると、いやはや、背筋がビリビリします。
いくつかの像ではすでに胡粉下地が剥落して、
運慶が彫った木そのものをじっくり見ることができました。
力強い印象の像だけど、細部も曲面もきわめて丁寧に
細かく仕上げてありました。
鑿や彫刻刀の彫り跡などほとんど見えません。
今のように手軽に紙やすりも手に入らないし
気軽に何本も彫刻刀を揃えることもできなかった時代です。
きっと彫刻刀を研ぐ時間と彫る時間は同じ長さだったかもしれません。
そうした「準備」の時間は、一種の瞑想のようだったのかも?
無著像と世親像を間近で見て、運慶の心の内面を垣間見たような・・・
ううむ、違います、
鑑賞する自分の心の一部分をむき出しに自覚したような、
久しぶりにそんな感覚になりました。
*写真は運慶展サイトからお借りしました。
混雑覚悟でも、これは観るべし。
ぜひお出かけください。
11月26日(日)まで