diario
他人のものに手を加える恐ろしさ 8月17日
全面に純金箔水押しの額縁修復を続けています。
そんなに古い額縁ではない、おそらくイタリア製。
木地とボローニャ石膏の間に空気の層が出来ていて
亀裂からパイのようにパリパリと割れて剥がれてしまうという
かなりの重症患者なのですが、ひたすら剥落止めをしつつ
石膏で充填して磨いて整形して、という作業をしています。
それにしても。
修復作業とは恐ろしいものです。
持ち主は他人(ご依頼主)で、大切なお金を払ってでも
額縁を健康で美しい状態に戻したいと願っていらっしゃる。
更にその額縁は他人が作ったもので
多くの場合は制作者はすでに亡き人かもしれない。
そんな額縁に刃物を入れる必要もある・・・
ご依頼主や制作者である「他人」(表現が悪いけれど)の
気持ちを背負って、二つとないものに手を加えるのは
大変緊張感を伴います。
考えたら、恐ろしくて手が震えそう。
緊張しすぎて萎縮すると必要な処置ができなくなるけれど、
制作者の気持ち、修復を依頼して下さった方の気持ち、
この緊張感、「人の心」を忘れないようにすることが
修復をするうえで忘れてはならないこと、と感じます。
まったくもって「私」が入る余地はありません。
夜にひとりでコツコツと修復作業をしていると、
今は亡き制作者が後ろに立って、じぃ~っと覗き込んでいる?
などとふと、思うことがあります。
わたしが作った額縁を、わたしの死後に修復してもらえるなら
どこからか、きっと覗きに来ずにはいられないでしょう。
このお話をしたのはお盆の記憶が新しいから
というわけではありませんよ・・・。