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「リアルのゆくえ」展 古い絵と額縁の関係 6月12日

 

平日の午前中、平塚市美術館で開催された

「リアル(写実)のゆくえ」展に行きました。

いつも会期終了間際に駆け込み鑑賞するわたしです。

最近「写実」と接し考える機会が多かったこと、

そして大好きな岸田劉生、高島野十郎の作品があるので

楽しみに出かけました。

はじめて知った作家、はじめて観る作品も沢山ありましたし、

劉生「壺」、野十郎「早春」、小絲源太郎「けしの花」

椿貞夫「菊子座像」、原田直次郎「神父」をまじまじと観ることができて

とてもとても幸せでした。

写実の絵画は現代も描かれていますが、わたしは明治中期ごろから

戦後あたりまでの作品が好きなのだ、と改めて思いました。

描いた人の目を通して追体験できるような感覚といいましょうか。

描く対象や色使いなどが大きいとは思いますが、現代ではない作品、

特に高島野十郎の「早春」などは、観るたびに

わたしの心象風景にとても近いようにも感じています。

そして明治・大正・昭和のふるい日本製額縁を堪能しました。

一見ヨーロッパ風の額縁も、ちょっとしたデザインの意匠や

箔の色味が、なんとも「和風」なのです。

なかには漆や螺鈿の豪華な純和風額縁もありました。

これら額縁もおおいに楽しめる展覧会です。

 

それにしても。だからこそ。

こうした古い絵に、ごく最近作られたであろう真新しい額縁が

付けられているのを見ると、なんとも言えない気分になります。

おまけにツヤピカ新品額縁なのに変な傷がついて

白い木地が見えていたりすると悲しくなってしまう。

作品に対する印象も大きく左右します。

オリジナルの額縁がすでに失われていたり、所蔵先の意向や予算等、

さまざまな事情を理解しますけれど、いっそ額縁無しで

裸の作品を鑑賞したいと思ってしまうのでした。

 

でも、それもまたわたし個人の感想です。

古い時代遅れの機能とデザインの額縁なんて

額縁の役割を果たしていない、と考える方もいらっしゃるでしょう。

つくづく、作品と額縁の関係、バランスは奥深いと痛感しました。