diario
La nostalgia in Italia 2011 Firenze -Duomo1- 3月25日
イタリアの郷愁 2011 フィレンツェ -ドゥオーモ 1-
わたしが初めてフィレンツェを訪れたのは19歳の冬でした。
その頃はボッティチェッリの絵が大好きで
(勿論今も好きですが もっとずっと好きだった頃です)
彼が生まれ育ち絵を描いた街に行けると 心から喜びました。
いざフィレンツェに着き 遠くにこの大聖堂の円蓋が見え始め
いよいよ暗い路地の向こうに 明るく輝く大理石のモザイク壁が見えたとき
あまりの喜びと興奮で 心臓が壊れてしまうのではないかと思いました。
大げさですね。
でも当時の若い心を持ったわたしにとっては
フィレンツェに ドゥオーモに来る事ができたのは大きな感動でした。
この大聖堂にも ボッティチェッリが来たのだ
ボッティチェッリもレオナルド・ダ・ヴィンチも実在したのだ・・・
そんな風に ドゥオーモのどこを見ても嬉しくドキドキしたものです。
いまもその時の感動は覚えていて ドゥオーモに来る毎に
くりかえし思い出し この街とのご縁への感謝の気持ちになります。
そして あの頃のみずみずしい心が遠くなった代わりに
今のわたしが得たものがあることに 改めて気づきます。
フィレンツェを象徴する人 ロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492)の詩
“Quant‘e‘ bella giovinezza
che si fugge tuttavia,
chi vuol esser lieto sia
del doman non v’e‘ certezza”
若さとはなんと素晴らしいことだろう
しかしその時間はすぐに過ぎ去る
楽しみなさい
明日に確かなことはなにも無い
(上の日本語はわたしの意訳です)
ルネッサンス時代からいまも 人が感じることは変わりないのですね。